Memorandum London Diary

英国ロンドンにてUniversity College Londonの教育大学院に留学しています。その生活の中で感じたことを徒然とメモしていこうと思います。

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2010年代終わったので雑に書いた

この手の記事は書き出すと永遠に書いちゃう気がするので、短く書いて終わりたい。

ちなみにこの記事はロンドンの寮の自習室で書いている。新年が明ける瞬間を日本で過ごさなかったのは初めてで、新年になる瞬間は寮の最上階から花火を見て、さっきまで奥さんとNew Year's Paradeに参加してきた。

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2020年になるというタイミングにあたって、自分としては、2019年が終わったというよりも2010年代の10年間が終わったという感覚だった。 2010年はまだ東京の片田舎で大学3年生で、大学の授業やバイトだったりに精を出しつつ、文科省を目指して国家公務員試験の勉強(憲法とか行政法とか)をしていた。それがいつのまにか、突然大学を休学し、受験サプリに出会って以降は文科省を受けるを辞め、帰国子女でもないのに拙い英語でインドネシアやフィリピンで仕事をし、そして今は仕事を辞めてイギリスで大学院生をしている。どれもこれも、多分2010年の時の自分に言っても、どれ一つ信じてくれない気がする。

しかしそれより何よりも、何が一番大きな変化だったかと思い返すと、なんというか、自由に生きるという選択がとれるようになった、ということかもしれない。

大学在学中までの自分は、いわゆる優等生的な生き方に対して無自覚に沿って生きていた気がする。一定の大学に入って一定の職場に入って云々、というやつだ。それがいつの頃からなのかわからないが、そうした世界で生きていることにだんだんとストレスを感じるようになったり、誰かと競争するだとかそこで評価されるされないというよりも、ただ純粋に自分がやりたいと思うことに集中して生きていたい、と志向するようになっていったような気がする。

なんでそうなったのか具体的に何かエピソードがあるわけではないが、リクルートという「個の尊重」を何より大事にしてくれるカルチャーにいたことが大きいのかもしれない。例えばそれが「世間一般的に」「当たり前と評価される」生き方でなかったとしても、自分にとって何が一番大事なのか・何がやりたいことなのか、という思考を言葉や行動にして発することを奨励される&許される環境下で、そうした生き方を選択することが、これまでの、何かわからないけど何かから解放された自由さと感じられ(もちろんその個の尊重や自由には責任が伴うわけだが)、「世間一般に言う当たり前」のレールに沿わない生き方を選ぶ、という怖さが少しずつなくなって来た2010年代だったように、今振り返って感じる。

だから、だから・・・ということでもないが、いずれにせよ、その変化は自分にとって、多分大きなことだったんだろうと思う。

そういえば、年末にスタジオジブリの「耳をすませば」を見た。

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主人公のお父さんのセリフがとても刺さった

雫、自分の信じる通りやってごらん。 でも、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。 何が起きても誰のせいにも出来ないからね。

人と違うことをやるということの大変さを理解しその覚悟を伝えた上で、自分の信じる道への背中を押すその言葉の深さすごい(感想が小並感)